昭和41年10月4日 夜の御理解



 信心を、いよいよ分からせて頂き稽古させて頂く者の、心がけととして、その心を神様に打ち向けさせてもらい、何事にも信心にならせてもらうということに精進させてもらい、神様にも、あだおそろかにしてはならないと、まあ私共はそれを願い、そして念願とさせて頂いておるのでございますしまたみなさんも、まあそうであろうとこう思います。ところがその、ほんとにこう、あいすまんことでございますけれども、おおいにしてその、うかつにしておることがございましてね、あわやおかげを落とそうとするようなことがありますけれども、神様はそういう中にでもおこう働きくださいます。そしてそこんところをおきづけくださいます。ほらほら、とこう言わんばかりにお気づけくださいます。またそのほらほら、こうと言うてくださるような、おきづけにも気がつかんようになったらもういよいよ信心のけいこをしておるとは言えないと思う位、私は感じるのですけれどね。

 昨日でした、えー、急にあの、ある用件がございましてから、私と久富先生と現場に、参らなければならん用件がございまして参りました。もう日が暮れ夕方なんです。いきが、行きがけはバスでまいりました。そしたら、ある方が、ちょうど私ともがあそこにいっておりましたもんですから、田主丸の方へ帰りがけに、あの商用で帰り道にあそこによったんです。でもちろん私は、当然これから送ってくれるもんだとこう思っとった。けれども何か忙しかふうにしとりますし、あのまだ吉井までいかんならんからとか、いわれる、そりゃあどうぞ、というて私は、まあここにこげんとこだなと、こげんところをちょっと、こう親先生ちょうどここににタイミングよう、あそこに私が出てきたところに、ここに来合わしたちいうことは、これはもう忙しかっても私を、ここまで送ってこんならん、まあ椛目の大体の信者、ほとんどここんところのぬかりがあるようなことはないと思うですね。もし私がそこにおるかぎり。けどその人は、吉井にまだいかなんならんからというて、行き過ぎろうとした時に、久富先生が、「あら、あんた送っちゃいかんと」かなんかと、一言こう言われたらしいですね。ときに、はっと気づいてから、あの、のっとるものを下ろしてから、私をこっちまで送ってくれたんですけれど、まあどうした信心の方やろか、あのあんな信心頂きよってから、とこう思いましたもんですけれども、そこなんです。私共もそれと同じようなことがあるです。

 ですから、はあこの人をおかげ落とさんでよかったなあと、いわば失敗せんでよかったなと、こう私はかえって思わせていただくのですねそこんところを。みなさんならどうでしょう。例え、( )ても、もし私があそこへ立って、夕方、日暮れ前に、まあ例えば、これからバスで帰らんならんとまあ言うておるとするならです、おそらく、椛目の人やったらまずどんなに忙しかったったちゃ、まず送ってくれるだろうと思います、そのかわし、ことはできると思う。けどその人は、案外、そこんところを淡々としたと言うか、まあー大きくいやあ( )ということでしょうか、まあ自分の用は先にすることは案外平気な方なんですけれどです、それでもやはり、おかげを落とさせない、おかげ頂かせようという働きがですね、その、久富先生を使うておられるわけです。そしてひゅっときづいたんです。はあほんなこと、おかげ落とさんでよかったとと自分もまあそれを感じたらしいです、ね。

 私も今日は、夕方あの今日はあの、北野の方の、んー(  )大工さんがみえておられまして、一日今日はその話し合いでございました。でお客さんがございましたもんですから、あのちょっといっぱい、お神酒をあげとりました。私もお相伴してから、もうよか気分になってから、空き腹で頂いとるもんですから、もうちょっとなごならんきついくらいにあった。でそのまま時間もあるかと思って、横にならせて頂いた。でこう、目がさめさせて頂いてから、まだお風呂にはいっとらんからと思うて、ここへきてから時計を見たところが、八時前十分前であった。いやあまだ時間がうんとあった。まあいっとき休んどきゃあよかったけれど、まあ先にお風呂入ってから、そして、まあ羽織袴をはいて、まあゆっくり御祈念ができるなと思うて、ゆっくりお風呂に入らせてもらい、そしてすぐ羽織袴をつけてからここへ座ったんです。ところが座ったら八時前十分なんですよ。とまってるんです。ね、あら、これは久富先生時計止まってるじゃない、(はよ)見てきてごらん、であわせにいったら、きっちり九時なんです。はあ神様は間違いないなあ、私が例え眠っておるところであろうが、風呂でゆっくりしておる時であろうが、または私が心の中で考えておることであろうがです、そげなことでおかげおとしちゃならんぞという働きを感じる。

 今日は私はですね、どうであってもこうであっても、今日だけはご無礼してから、はよ2階にあがらなん用件があった。今日はね、あの歌舞伎のお芝居があるんですよ。だから今日は一つその、誰が参ってきよったっちゃ、( あそこ一、二分ばかりはよ、その、まあ夜な夜なです、ね、まあ大祓い一つぬけたっちゃ、はよ御祈念終わってから、はよ2階さんあがろうという感じです。ところがです、これだけ間違いなしに神様から働きを頂いてごらん。ね、もう本当に目が覚めさせた頂いたのも、お風呂にゆっくりさせて頂いたのも、時計が止まっておったのも、みんな私1人のために、しかもおかげをおとさせまいとする、その働きがです、これはひしひしとせまってくるものを感じますね。ね、ですから、いつもより今日は私は念入りに御祈念させて頂いたんです。ね、あれは信心はここだと思うんです。やはり、なら今日の○○さんを、責めるんじゃあない、あの位のことだとこう、まあ思うけれどもです、なら私だっていうことは同じことだということ。あわや、なら私も、いわば神様の方、ほったらかして、お芝居のほうを見ろうかと、しておった私ということをです、ね、感じなければなりませんでしょうが。

 いうならば、何事にも真心になれ、もう本当にこと神様のことに限ってはですね、それこそ仮初にもお粗末ご無礼があっちゃあならんという心がけをもって、例えば私が頂いておりましてもですね、ことそれが、好きなものになりますと、好きな物の方へ目がくらんでしまうということ。または、もう自分というものばっかりを中心にしておりますと、ちょいと、まあ今日は吉井にいかなきゃなりませんけんというて、そげなことば言える人じゃないこの人は大体いうたら。もう私だっちゃ例えば、(  )例えばなら私があすけおるからというて、止まって挨拶でもする時間があるのですから、ね、もう当然私は送ってもらうもんだと私は思うとったけれど、もう自分から乗せてってくれとはいわん。けれども、そこに神様は久富先生を使うてから、あら、あんた送っちゃいかんととかなんかとか、まあ私は聞こえませんでしたけども、何か言われたんでしょう、だからパッとこう思うて、帰る時には、自動車をぐりっと回し、向こうから回してきよります。のっとるもんばおろして、先生、お送りしましょう、あら、送ってくれる、ちいうてから、ちょっと送りますというてその送ってくれるんですね。これで私が、思うこと。この人はおかげおとさんでよかったと。また、例えばそれで送って、私ば送っていっとらんならです、今夜、例えばどげん無神経な人でもです、はあ本当に親先生をあそこで送らなんとじゃった、送ることがほんなこっじゃったばってん、と思うて心にひっかかる。その心にひっかかることがです、おかげをもう受けられんもとになるのです。ね、

 ですからその昨日のそれだって、今日の私のことだって同じようなこと。ね、ですからえーご信心させて頂いたら、お酒を飲んじゃならん、酔っ払うてみちゃならんということじゃないでしょうが、そういう中にでも、ちゃんと神様が十分に寝せてくださりもすりゃあ、お風呂にゆっくりいれさせてくださりゃあ、いう働きがあっとるでしょうが。でも、こちらが座った時には、あら、先生あんたこれは、八時半と十分前、これは止まっとるですよち。もうびっくりした。けれども、あわせられたとを見ると、きっちり九時だった。こげんも間違いない働きの中にあるのであるから、例えば私が(  )のとこから出てくる、あちらの車があちらから来るというように、こういう素晴らしいタイミングというものがです、神様がおかげを落とさせまい、おかげ頂かせてやろうという働きなんですね。そこを間違いないようなしていかんならん、そこんところが段々分かってくるようになると、信心が楽しゅうなるですね。どうぞ。




池尻 てるか